鬼平(静岡県島田市)【舞台探訪・聖地順礼】
云わずと知れた池波正太郎先生による時代小説『鬼平犯科帳』が、発表から50年の時を経てアニメとなりました。
フィクションとは云え、実在の人物をモデルとしている作品でもあり、作中に登場する場所も実在の場所となっています。
当時は江戸時代中期、作中から200年以上が経過していますが、第一話で早速、島田宿が登場したので、現在の島田宿を訪ねてみました。

島田宿は東海道五十三次の23番目の宿場であり、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠まれた東海道随一の難所のある場所です。
江戸防衛のため架橋や渡船が許可されていなかった大井川は、増水によって川越が禁止されると、江戸から西に向かう旅人達は足止めを食らう事となり、島田宿は旅人の落としていくお金で大いに賑わっていたとされています。


作中では宿場町というよりは、さながら色街…といった雰囲気でしたが、宿場があるところにはそういったものは付き物ですから、こんな感じの場所もあったのかもしれません。


それに、文金高島田などが現在でも神前結婚の際の髪型として有名ですが、江戸時代に流行したとされる島田髷と呼ばれる日本髪の結い方は、ここ島田宿の遊女が発祥だと云われています。島田市には島田髷の考案者と伝わる虎御前の墓のある鵜田寺の近くに“髪の塚”という碑がある他、毎年9月に島田髷という祭りが行われているほどです。


現在では遊里の跡はまったく残っていませんが、名残として島田髷が現代にも伝わっているといったところでしょうか。
作中で宿場町を歩いているこの女性、これが島田髷じゃないですかね。

さて、作中では「早速だが明日、ミクラ屋へ来い。七丁目のタバコ屋が俺の盗人宿だ。」というセリフが出てきておりましたが、島田宿内は一丁目~七丁目に分かれており、七丁目は一番、江戸側(東側)にあたる場所になります。ちょうど、現在の島田市の商店街の東側の入り口あたりのエリアになります。


全くもって面影はありません。古い建造物も一切残っておりません。島田宿があった場所は現在も商店街となっていますが、シャッターの閉まった店も多く、やや淋しい雰囲気になっています。こちらは島田宿の東側の入口があった場所になる様です。正面に見えているのが七丁目の商店街です。


当時の名残らしきものといえば、江戸から数えて50番目にあたる一里塚の石碑が七丁目辺りに設置されています。

当時の島田宿があった場所、すなはち現在の島田の本通商店街ですが、だいたいこんな雰囲気です。
実に地方都市らしくて芳しい雰囲気ですね。

当時の町並みは市街地には全く残ってませんが、島田宿の本陣跡辺りに整備されている「おび通り」という場所が、和風なデザインで風情のある町並みを形成しています。


旅籠や飲食店が立ち並んでいたエリアではありませんが、宿場町の西の端、大井川の手前にある河原町というエリアには当時の町並みが再現されています。「大井川川越遺跡」という名称で整備されており、国指定史跡に指定されています。
こちらにある建造物は、作中の様に旅人が寝泊まりしていたものではなく、川越しの料金所に当たる川会所や、川越人足の待合所である番宿などですが、当時の島田宿の雰囲気が味わえる場所といえば、川越遺跡ということになるでしょう。




江戸時代が舞台のドラマや漫画ではよく登場する、そして本作にも登場する天水桶なんかもありました。

ということで、鬼平第一話の舞台となった島田宿を巡る旅でした。作中の世界観をそのまま味わえるわけではありませんが、時代モノの舞台の現在の様子を訪ねるのもなかなか面白いものです。てっきり鬼平って勝手に江戸が舞台なのだと思ってましたが、火盗改は今後も江戸から遠く離れた町にも出張ってくるんでしょうか。楽しみです。
そういえばですが、島田と云えば2013年10月からテレビアニメが放送された『ゴールデンタイム』の主人公多田万里の出身地として幾度も登場してましたね…
ゴールデンタイム(まとめ:静岡県島田市)【舞台探訪・聖地巡礼】

写真:現在の島田市街地の様子。手前は牧之原台地の茶畑、大井川に架かっているのは世界最長の木造賃取り橋、蓬莱橋です。
フィクションとは云え、実在の人物をモデルとしている作品でもあり、作中に登場する場所も実在の場所となっています。
当時は江戸時代中期、作中から200年以上が経過していますが、第一話で早速、島田宿が登場したので、現在の島田宿を訪ねてみました。

島田宿は東海道五十三次の23番目の宿場であり、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠まれた東海道随一の難所のある場所です。
江戸防衛のため架橋や渡船が許可されていなかった大井川は、増水によって川越が禁止されると、江戸から西に向かう旅人達は足止めを食らう事となり、島田宿は旅人の落としていくお金で大いに賑わっていたとされています。


作中では宿場町というよりは、さながら色街…といった雰囲気でしたが、宿場があるところにはそういったものは付き物ですから、こんな感じの場所もあったのかもしれません。


それに、文金高島田などが現在でも神前結婚の際の髪型として有名ですが、江戸時代に流行したとされる島田髷と呼ばれる日本髪の結い方は、ここ島田宿の遊女が発祥だと云われています。島田市には島田髷の考案者と伝わる虎御前の墓のある鵜田寺の近くに“髪の塚”という碑がある他、毎年9月に島田髷という祭りが行われているほどです。


現在では遊里の跡はまったく残っていませんが、名残として島田髷が現代にも伝わっているといったところでしょうか。
作中で宿場町を歩いているこの女性、これが島田髷じゃないですかね。

さて、作中では「早速だが明日、ミクラ屋へ来い。七丁目のタバコ屋が俺の盗人宿だ。」というセリフが出てきておりましたが、島田宿内は一丁目~七丁目に分かれており、七丁目は一番、江戸側(東側)にあたる場所になります。ちょうど、現在の島田市の商店街の東側の入り口あたりのエリアになります。


全くもって面影はありません。古い建造物も一切残っておりません。島田宿があった場所は現在も商店街となっていますが、シャッターの閉まった店も多く、やや淋しい雰囲気になっています。こちらは島田宿の東側の入口があった場所になる様です。正面に見えているのが七丁目の商店街です。


当時の名残らしきものといえば、江戸から数えて50番目にあたる一里塚の石碑が七丁目辺りに設置されています。

当時の島田宿があった場所、すなはち現在の島田の本通商店街ですが、だいたいこんな雰囲気です。
実に地方都市らしくて芳しい雰囲気ですね。

当時の町並みは市街地には全く残ってませんが、島田宿の本陣跡辺りに整備されている「おび通り」という場所が、和風なデザインで風情のある町並みを形成しています。


旅籠や飲食店が立ち並んでいたエリアではありませんが、宿場町の西の端、大井川の手前にある河原町というエリアには当時の町並みが再現されています。「大井川川越遺跡」という名称で整備されており、国指定史跡に指定されています。
こちらにある建造物は、作中の様に旅人が寝泊まりしていたものではなく、川越しの料金所に当たる川会所や、川越人足の待合所である番宿などですが、当時の島田宿の雰囲気が味わえる場所といえば、川越遺跡ということになるでしょう。




江戸時代が舞台のドラマや漫画ではよく登場する、そして本作にも登場する天水桶なんかもありました。

ということで、鬼平第一話の舞台となった島田宿を巡る旅でした。作中の世界観をそのまま味わえるわけではありませんが、時代モノの舞台の現在の様子を訪ねるのもなかなか面白いものです。てっきり鬼平って勝手に江戸が舞台なのだと思ってましたが、火盗改は今後も江戸から遠く離れた町にも出張ってくるんでしょうか。楽しみです。
そういえばですが、島田と云えば2013年10月からテレビアニメが放送された『ゴールデンタイム』の主人公多田万里の出身地として幾度も登場してましたね…
ゴールデンタイム(まとめ:静岡県島田市)【舞台探訪・聖地巡礼】

写真:現在の島田市街地の様子。手前は牧之原台地の茶畑、大井川に架かっているのは世界最長の木造賃取り橋、蓬莱橋です。
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